急性期病院にいた頃から始まった不安は、回復期病院へ移ってから、さらに強くなっていった。
血圧が少し高ければ、「また脳出血を起こすのではないか」
鼻や頭に違和感を覚えれば、「蓄膿症ではないか」
次から次へと不安になる材料を探し、それを面会に来てくれた家内へ訴えていた。
一つの不安が落ち着いても、また別の不安が現れる。
「大丈夫」と言われても、安心できない。
頭では考え過ぎだと分かっていても、不安を止めることができなかった。
そのたびに、家内を困らせていたと思う。
ただでさえ家内は、私が倒れたことで生活が一変し、大きな不安を抱えていた。
それなのに私は、自分の不安を家内にぶつけ続けていた。
今振り返ると、あの激しい不安も、脳出血による後遺症の影響があったのではないかと思う。
しかし当時は、そんなことを考える余裕もなかった。
ただ怖かった。
また何かが起きるのではないか。このまま治らないのではないか。家族の元へ帰れないのではないか。
理由の分からない恐怖が、いつも心の中にあった。
そんな入院生活の中、たくさんの人がお見舞いに来てくれた。
息子たちとその家族。
家内の両親。
義理の兄とその家族。
実の姉。
そして、仕事でお世話になっていた友人たち。
自分がこれまで、どれほど多くの人に支えられて生きてきたのか。
病院のベッドの上で、初めて気づかされた。
その中でも、特に強く覚えているのが、息子たちのお見舞いだった。
ある日、次男と二人で話す時間があった。
何を話したのか、そのすべてを覚えているわけではない。
けれど、私の口から自然に出た言葉だけは、今でもはっきり覚えている。
「お母さんのことだけは、よろしく頼む」
その言葉を口にした瞬間、涙があふれた。
病気で倒れてから、初めて泣いた。
自分の身体のことでは、泣かなかった。
歩けないことでも、左手が動かないことでも、泣かなかった。
けれど、家内のこれからを考えたとき、どうしても涙を止めることができなかった。
もし自分に何かあったら。
もし、このまま家に帰れなかったら。
家内を一人にしてしまうかもしれない。
そんな思いが、ずっと心の奥にあったのだと思う。
同じ言葉を、長男にも伝えた。
「お母さんのことだけは、よろしく頼む」
それは、二人の息子にお願いした、たった一つのことだった。
二人なら、きっと家内を支えてくれる。
そう思えたことが、私にとってどれほど心強かったか分からない。
そして同時に、私は初めて、自分が死ぬかもしれなかったという現実と向き合った。
なぜ自分は助かったのか。
なぜ生き残ることができたのか。
この先、自分は何をして生きていくのか。
病気になる前には考えたこともなかった問いが、少しずつ心の中に浮かぶようになった。
私は、生き残った意味を考え始めていた。
その答えは、まだ分からない。
ただ、この経験を自分の中だけで終わらせてはいけない。
いつの日か、同じように脳卒中で倒れ、不安の中にいる誰かのためにできることがあるのではないか。
その時はまだ形になっていなかった思いが、心の奥で少しずつ芽生え始めていた――。
※第7話は近日公開予定です。
※本コラムは、脳卒中当事者本人の実体験をもとに綴っています。症状や経過は人によって異なります。