回復期病院へ転院して、最初に直面した問題。
それは、食事だった。
腎不全と診断されていた私は、腎臓に配慮した食事に加え、減塩、さらにできる限りたんぱく質を抑えた食事が用意されていた。
身体のために必要な食事だということは分かっている。
それでも正直に言えば、
美味しくなかった。
味は薄く、肉料理もほとんど出てこない。
食欲が湧かず、食事の時間が楽しみになることもなかった。
白米にふりかけをかけ、それだけは何とか頑張って食べていた。
回復するためには、食べなければならない。
頭では分かっていても、毎日の食事は思っていた以上につらいものだった。
そして、いよいよ本格的なリハビリが始まった。
回復期病院でまず重点的に行われたのは、歩くためのリハビリだった。
PT、理学療法士による歩行訓練。
立ち上がる。身体を支える。麻痺した足を前へ出す。一歩ずつ歩く。
「まずは歩けるようにする」
病院側が歩行訓練に力を入れていることは、私にも伝わってきた。
毎日リハビリを続け、入院から約1か月がたつ頃には、杖と装具を使い、何とか歩き始められるようになっていた。
決して安定した歩行ではない。それでも、自分の足で前へ進めるようになった。
普通なら、大きな回復を実感してもよいはずだった。
しかし、私の心は素直に喜ぶことができなかった。
麻痺した左手が、ほとんど変わっていなかったからだ。
歩行訓練には明確な目的があり、何をしているのか私にも分かった。
その一方で、麻痺した手のリハビリについては、何を目的に行っているのか、十分な説明を受けた記憶がない。
担当してくれたのは、今思えば、まだ経験の浅いセラピストだったのかもしれない。
説明のないまま、よく分からないリハビリを受けていた。そんな薄い記憶だけが残っている。
「このままで、本当に手は動くようになるのか」
「歩けても、手が使えなければ仕事に戻れない」
「もっと何かできることがあるのではないか」
歩けるようになった喜びよりも、変わらない左手への焦りの方が、少しずつ大きくなっていった。
回復期病院でも、私は病室へノートパソコンを持ち込んでいた。
身体も頭も、まだ十分に回復してはいない。
それでも、何とか仕事を続けようとしていた。
パソコンを開くことは、私にとって仕事をするためだけではなかった。
病気になる前の自分と、まだつながっていることを確かめる行為だったのかもしれない。
以前のようにはできない。考えがまとまらない。左手も思うように使えない。
それでも、できることを探しながら仕事をしていた。
焦りだけが、私を前へ進ませていた。
そんな頃だった。
急性期病院にいた頃から感じていた、得体の知れない不安。
一度気になり始めると、そのことばかりを考えてしまう。
自分でも止めることのできない不安が、少しずつ強くなっていった。
身体の回復を目指す一方で、私の心は、知らないうちに追い詰められていた――。
※本コラムは、脳卒中当事者本人の実体験をもとに綴っています。症状や経過は人によって異なります。