意識は、まだはっきりしていなかった。
病院へ運ばれ、検査を受けたあと。朦朧とする意識の中で、担当医から告げられた言葉があった。
「状況的には、良くないですね」
続いて医師の口から出たのは、「心不全」、そして「腎不全」という言葉だった。
さらに、「最悪の場合、透析治療が必要になる可能性もあります」と説明された。
ただ、その時点では、それ以前に大きな問題が残っていた。
「まずは脳出血が止まってからですね……」
私は当時、意識が朦朧としていたこともあり、その言葉をどこまで理解できていたのか、今となっては分からない。
しかし、その場にいた家内にとっては、あまりにも重い言葉だったようだ。
後になって家内は、その時のことをこう振り返っている。
「待合室で、涙が止まらなかった」
「このまま、いなくなってしまうかもしれないと思った」
昨日まで普通に一緒にいた人が、突然倒れた。
そして病院で、脳出血、心不全、腎不全、透析の可能性。そんな言葉を一度に聞かされた。
家内にとっては、「俺がいなくなるかもしれない」という恐怖が、突然目の前に現れた瞬間だったのだと思う。
私はそのまま、脳の出血が止まるまでICUに入ることになった。
ICUで過ごしていた間の記憶は、断片的にしか残っていない。意識はずっと霧の中にいるようだった。
それでも、不思議とはっきり残っている気持ちが二つある。
「仕事をしなければ」
「早く治して、家内の元へ帰る」
今思えば、身体はそんな状態ではなかった。それでも、その二つの気持ちだけが、私を前へ進ませていたのだと思う。
約2日ほど経ち、脳の出血はようやく止まった。大きな山を一つ越えた。
その後、私の希望で個室へ移ることになった。
少し状態が落ち着いた私は、すぐに家内へ頼んだ。
「ノートパソコンを持ってきてほしい」
今思えば、何をそんなに焦っていたのだろうと思う。だが当時の私にとって、仕事をすることは「元の自分に戻ること」だった。
パソコンを開き、いつもの仕事をしてみようとする。
しかし、当然、まともに仕事などできなかった。
画面を見ても頭が追いつかない。何かを考えようとしても、思考がうまくまとまらない。意識は依然として朦朧としていた。
それでも、「やらなければ」と思っていた。
身体も頭も、自分が思っているほど回復してはいなかった。それを認めることが、まだできていなかったのかもしれない。
そうして私は、脳出血、心不全、腎不全。大きな病気をいくつも抱えながら、急性期病院での日々を過ごしていった。
少しずつ状態も落ち着き、いよいよ次の段階となる「回復期病院への転院」という話が出始めた。
ようやく、本格的なリハビリが始まる。私はそう思っていた。
だが、その直前。私の身体に、新たな異変が見つかった。
それは、回復へ向かい始めたと思っていた私を、再び大きく揺さぶることになる。
※本コラムは、脳卒中当事者本人の実体験をもとに綴っています。症状や経過は人によって異なります。